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当時、東大の大型計算機センターには日立の誇るコンピュータ(M-280)が置かれていた。
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M-280 | 磁気テープ装置 |
東大の大型計算機センターにて
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以下の写真は駿台電算専門学校で撮影した。この専門学校は日本で3番目(1番は東大、2番は慶応、3番は駿台電算専門学校)にUNIX環境を持った。日本に於けるUNIX関係の人材育成において、この専門学校の果たした役割は大きい。
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VAX11-780 | VAXの背面 |
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この頃、UNIXが注目されていた。この DEC の VAX11-780 は UNIX のために導入されていた。
右側はVAX11 の裏側の写真である。当時の通信は RS232C である。多数の RS232C ケーブルが繋がっている。ここからケーブル配線が延びていた。その中の1つはこの端末に繋がっていた。
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UNIX用端末 |
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中央がデータジェネラル(?)の端末。なかなか優秀。左はパソコンらしい。「端末とバソコンはどこが違う?」。端末は文字をキーボードから読み取り、その文字をホストに送り、ホストから送られて来た文字を画面に表示するだけ。つまり、独自の処理能力が無い。
この頃の UNIX ユーザのバイブルは「プログラミング言語 C」。
バソコンが台頭しつつあった。そして僕はパソコンで端末ソフトを作成し、それを使う事も多かった。当時のパソコンの処理能力は既に専用端末に匹敵し、しかも専用端末よりも遥かに気の利いた事ができたのだ。この事は、専用端末に未来は無いことを示していた。
この頃のハードディスクはまだオープンエアータイプのものが使われていた。つまりディスク面が室内の空気に触れるのである。そのためにCPU室の空気清浄は絶対条件になる。
ディスクはリムーバブルで何枚か纏めてパックになっている。写真には取り外したディスクパックがドライブボックスの上に積み重ねられている。
大きいからさぞかし容量が大きかろうと思ったら大間違いである。
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ラインプリンター | 印字ヘッド |
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ラインプリンターと呼ばれる理由は、行単位で一挙にプリントするからである。ラインプリンターの印字ヘッドは132個(?)(1行中の文字数)も並んでいる。これらがうなり声をあげてバラレルに印字する。
ラインブリンターには宿命的な欠陥がある。印字可能な文字の種類を多くできないのである。アルファベットと少数の特殊記号しか打てない。英語の世界ならともかく... このころのパソコンのプリンターはドットインパクト方式で、漢字を打てた。
コンピュータの利用の形態は TSS 端末に移っていた。しかしこの頃はまだカードシステムが残っていた。
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IBMカード | カードパンチ機 | カードリーダー |
右の2枚は駿台電算専門学校で撮影
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IBMカードには80文字まで打ち込める。最後の8文字はカード番号の為に使われる。
IBMカードはIBM社にとって良い収入源だったらしい。このカード1枚が、1行分の命令に相当する。1000行のプログラムを書けば1000枚のカードが必要と言うわけである。このカードの山をカードリーダーに入れる。カードリーダーはこれをものすごい速度で読んで行く。一枚ずつ高速にかつ正確に読み取るためにカードを吸い取って残りのカードから引き剥がしていた。
このカードには僕の親友の名前が打たれている。写真のカードはジョブコントロール用で、カードスタックの先頭に置く。彼は誰かとぶつかって2000枚程のカードが床の上にバラバラになってしまった。順序は決定的に重要である。元に戻すのが大変だったとか...
このカードは東大の大型計算機センターで使われていたものだ。